まやログ。 ー日々の想い、綴りますー

ことばを扱うお仕事をしています。ここちいい、リズムのある文章がすき。仏像とスプラッター映画とお酒も、だいすき。すきなものを中心に、日々の暮らしの中で感じたこと、心にとどめておきたいことを自由気ままにつづります。ちょっとポエミー路線になるかもです。

グラスと、コースターのはざまで。 ー大人になったなと感じたときの話ー

ちょっと前までは、飲みものをコースターの上に置くことが嫌だった。

 

居酒屋さんでコースターの上にビールを置かれても、

カフェでコースターの上にコーヒーを置かれても、

店員さんがいなくなったら、コースターからグラスをそっとどかしてた。

 

なぜかといわれれば、明確な理由はないんだけど

あの小さな枠の中にグラスを閉じ込めてしまうことが、

嫌だったといえばそうとも言えるのかもしれない。

私自身が小さな枠の中に閉じ込められるのような、気がしたのかもしれない。

なんだか息苦しかった。

 

それが、最近になってどうでもいいことだって気づいたんだ。

普通に考えれば、コースターの上に飲みものを置いた方が

テーブルは水浸しにならないし。

みんな、普通にコースターの上にグラスを置いてるし。

 

でも、私はこんな小さな枠の中に収まるのは嫌だっていう、

変な枠に収まっていたんだと思う。

枠に収まってたのは、グラスじゃなくて、私だったんだって。

 

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いつも、そうだった。

 

枠に収まりたくない、自由でいたいっていう

自分だけの変な縛りに勝手に縛られて、勝手に息苦しくなってた。

 

これからは、コースターの上に飲みものをきちんと置こうと思う。

そうしたら、テーブルが濡れないし。

そう思ったら、なんだかほっとした。

 

私、もうコースターの上に飲みものを置いていいんだ。

わざわざコースターからグラスをどかさなくていいんだ。

 

ああ、なんか私、大人になったな。