グラスと、コースターのはざまで。 ー大人になったなと感じたときの話ー
ちょっと前までは、飲みものをコースターの上に置くことが嫌だった。
居酒屋さんでコースターの上にビールを置かれても、
カフェでコースターの上にコーヒーを置かれても、
店員さんがいなくなったら、コースターからグラスをそっとどかしてた。
なぜかといわれれば、明確な理由はないんだけど
あの小さな枠の中にグラスを閉じ込めてしまうことが、
嫌だったといえばそうとも言えるのかもしれない。
私自身が小さな枠の中に閉じ込められるのような、気がしたのかもしれない。
なんだか息苦しかった。
それが、最近になってどうでもいいことだって気づいたんだ。
普通に考えれば、コースターの上に飲みものを置いた方が
テーブルは水浸しにならないし。
みんな、普通にコースターの上にグラスを置いてるし。
でも、私はこんな小さな枠の中に収まるのは嫌だっていう、
変な枠に収まっていたんだと思う。
枠に収まってたのは、グラスじゃなくて、私だったんだって。
いつも、そうだった。
枠に収まりたくない、自由でいたいっていう
自分だけの変な縛りに勝手に縛られて、勝手に息苦しくなってた。
これからは、コースターの上に飲みものをきちんと置こうと思う。
そうしたら、テーブルが濡れないし。
そう思ったら、なんだかほっとした。
私、もうコースターの上に飲みものを置いていいんだ。
わざわざコースターからグラスをどかさなくていいんだ。
ああ、なんか私、大人になったな。